どうも、ドリーです!最近なかなか天気が安定せず、全国的にはショッキングな出来事もあり、色々と心がざわついている人が多いかもしれませんね。
夏バテをしたり、新年度から走り続けてきた疲れが出てきたりと、なにかとダウンしやすい時期だと思いますので体を大切にしてくださいね。たまには、うんと休んで、自分を甘やかしてあげてください。
さて、今日は先日人権フォーラムを見てきて思ったことについて話していこうと思います。
その中で実感したのは「相互理解の重要性」です。
では、さっそくまいりましょう!
相互理解が必要
フォーラムでは、同和問題が主にテーマとなっていました。正直なところ、おそらく学生時代に習っていたとは思うのですが、あまり頭に残っていませんでした。恥ずかしながら、「現代ではもう薄れている差別」だと認識していたのです。
でも、そうじゃなかったんですよね。
就職差別に結婚差別。いまだに色濃く残っている。そして、カミングアウトする時の怖さも私達セクシュアルマイノリティの抱える辛さと共通するものがありました。
そうした話を聞くなかで思ったのは、私はマイノリティ(少数派)でもあり、マジョリティ(多数派)でもあるということ。よくいわれることではありますが、みんながこの両面を持っているということを改めて気づかされました。
そしてマジョリティ側になった時に、もしかしたら自分も差別する側になるかもしれないと思いました。
登壇者の方が話されていたんですよね。
今はもうそんな差別ないでしょ。
と軽く扱われてしまうことが苦しい。それ以上知るつもりがないと突き放されているように感じると。これを聞いてホントにドキッとしました。
結局これって何が原因になっているかというと、「知らない」ということだと思うんですよね。知識がないからこうなってしまう。
じゃあ教えられてないかというと、そうではないですよね。授業では多かれ少なかれ教えられている。でも、「頭に残っていない、スルーされている」状態なんですよね。
なぜこうなるかというと、
自分ごと
として捉えられてないからだと思うんです。
どこか他人事だから、「まぁ、別に自分は差別なんてしないから関係ないや」みたいな感じになってしまうんだと思います。
だから自分ごとにするために、どうやったら相手に伝わるのか、伝える側も考える必要があるなと思いました。つまり「相互理解」が重要だと思ったんです。
理解するのって難しい
よく差別される側だと「理解して欲しい」という気持ちが先行すると思います。でもこれって正直めちゃくちゃ難しいことだと思うんです。
私達だって、部落地区に住む人たち、視覚障がい、身体障がいを持つ人の辛さ、言ってしまえば同じセクマイ同士でもセクシュアリティが違えば想像はできたとしても、真に理解することって出来ないと思うんです。
みんな違う人間だし、一般にいう「普通」の人たちだってお互いに理解ができないからケンカもするわけじゃないですか。それが対マイノリティになれば理解できないのは至極当然だと思うんですよね。
だから、「理解はできない」という前提に立つことがまず大事なんじゃないかなと思うんです。「理解できる」という前提に立つからこそ
なぜ理解できないのか!
ちゃんと理解しろ!
という敵対心や憎悪が生まれてきてしまうんじゃないかと思います。
でもだからと言って、歩み寄ることをやめるというわけではありません。理解はできなくても、「知って想像する」ということは出来るわけです。そのために私達が、どんな想いを抱えているのかを伝えて、その伝えた相手が何が分からないのかを理解することが重要なんじゃないかと思います。
一方的に理解を押し付けるのではなく、相手が何が分からないのかを知ったうえで、歩み寄っていくことが必要なんじゃないかと思うんですよね。
たとえばLGBTという言葉
そしてその上で思ったことがあったんです。
よくセクマイのセミナーを聞くと、「LGBTとは」みたいな話が絶対にあるじゃないですか。もちろん基礎的な知識は必要だと思うんです。でもこれってサイトを検索すればゴロゴロ情報はあるわけです。
それを当事者である私達が説明する必要があるんですかね?
むしろ、LGBTというくくりに入れることによって、壁を作っているようにも感じます。そして、セクシュアリティを説明する用語も日に日に増えていて、当事者ですら理解できない現状だと思うんです。
正直、カテゴライズされている中でも個々に違うし、サピオロマンティックなどの言葉もあるけれどもこれは「知的な人が好き」ってことで、「身長が高い人が好き」とかと変わらないと思うんですよね。
ようは
みんな1人1人違うよ。
その違いを認め合おうよ。
ってことじゃないですか。
だからカテゴリーの説明よりも、重視すべきは「リアルな体験」ではないかなと思うんですよね。
リアルな体験は個々に違うし、その人にしか話せないストーリーで、真に相手の心に刺さるものだと思うんです。
相手の心に寄り添って、いかに相互に理解するかが重要
そして、その体験談を通して、相手が分からないことを質問してもらい、それに答えていく。
- この時どんなことを思ったのか
- どう対応してもらえれば嬉しかったか
- 今後どんな風になっていったら嬉しいか
ストーリーが相手の胸に刺されば、自ずと質問も出てくるんじゃないかと思います。
私達が理解して欲しいのは、「カテゴリー」じゃなくて、「私達の困難」なわけだから、それをしっかり伝えて、その痛みを知ったうえで、今後自分たちができることを想像してもらうことが重要なんじゃないかと思うんですよね。
一番最悪なのは、カテゴリーを覚えて、知識習得して満足すること。これって本当に何にもならない。そうではなくて、「生の声」を届けることが大事じゃないかなと思うんです。
まぁ、その上で相手がカテゴライズを知りたいです!と言われるのであれば、それは説明してあげればいいと思います。それは相手が望むことであれば、するべきだし、それも相互理解の一部なので。
色んな人を知ろう
そして最後に思うことは、色んな人を知ることが大事ということです。
今回私がフォーラムに出て感じたように、私たちはマイノリティでもあり、マジョリティでもあるわけです。やはり色んな人達を知ることは意味があることだし、その「知る」という段階をクリアすることはかなり重要だと思うんですよね。
自殺率が多い日本。幸福率が低い日本。
生きづらさを抱えているのは、何も私達セクシュアルマイノリティだけではありません。色んな辛さを抱えて、色んな痛みを持って生きている人がいると思います。
その「生の声」を聞くことで、きっと感じることがあるんではないでしょうか?
ちょうど来週末31日(日)20時~21時30分に「自分らしく生きる」雑談会を開催します。
このタイミングで、色んな生きづらさを抱える人たちと話ができることは、何かの因果だな~と勝手に感じています(笑)
それと同時に非常に楽しみです。現時点で初参加の方が9割であり、新たな出会いにワクワクしています。
みなさんも一緒に色んな人を「知る」という段階をクリアしてみませんか?