努力はダサいって思います?どうでしょう?
私は数年前までそう思ってました。なんていうか…クールを気取ってたんですよね。努力してない感を出して、サラッとやってのけるのがカッコイイ!みたいな中二のような発想をしていました。30代なのに。
学生時代は「テスト勉強全然してないわ〜」って言うタイプのやつでした。
なんか必死に努力している人が苦手だったんです。
もっとクールにやればいのに。
って冷ややかな目で見る、嫌なやつでした。
でも最近思うのは、努力をダサいって思っているやつの方がダサくね?ってことです。…過去の私、聞いてるか!
いやー数年経つと人は考え方が180度変わるようです。私が生き証人です。ありがとうございます。
ということでね。今回は「努力はダサいってホントですか?」って話をしていきます。
努力はなぜダサいと思うのか
なぜ努力をダサいと思うのか。
人に才能があると思われたいか、努力をしていないかのどちらかだと思います。
1つ目の「人に才能があると思われたい」は過去の私のようなタイプの方です。…仲間ですね!
「努力してないのにできる自分」に価値があると思っているからこそ、努力している感が出ている人が苦手なんですよね。
もちろん、ことさらに「私、努力してるんです!!!」ってアピールするのはどうかと思いますが…。でも必死に頑張っている姿って美しいのに、それがダサいと思ってしまうんです。自分が出さないようにしているから。価値観の違いを受け入れられないんですよね。
2つ目の努力をしていないは、シンプルです。
努力をしていないからこそ、努力をしている人を疎ましく思ってしまう。「そんな頑張ったって何が変わるの?」「必死になっちゃって痛いね」みたいな感じで高みの見物をするわけです。
頑張っている人、努力をしている人をある意味下に見ることで、努力しない自分を正当化している。そんな状態です。この状態には少なくとも私は絶対なりたくないです…。
努力がダサいんじゃない、努力できないやつがダサいんだ
冒頭でもお話ししたとおり、努力をするのがダサいんじゃなくて、努力できないやつがダサい。と今は思います。何事も努力なくしてうまくいくことなんて絶対ないからです。
例えラッキーパンチでうまく行ったとしても、その後続くことはないでしょう。
努力するからこそ、チャンスが巡ってくるし、努力するからこそ信頼が得られる。努力はこの世を楽しく生き抜いていくためのドレスコードだなと思います。
しかも最近思うのは、努力ってなんだか苦しいものって感じがするけども、うまくいっている人ほど努力を楽しんでいるというところです。
むしろ努力とすら思っていない。当たり前だと思っている節があります。自分のやりたいこと、成し遂げたいこと、ありたい姿に向かっているからこそ当然のように努力できて、しかも楽しめる。…なんてカッコイイんだ!!こうなりたい!!まだなれてない!!一緒に目指しましょう!
体温低いふりするのをやめよう
過去の自分のように、クールを気取りたい人はいると思うんです。だってそっちの方がかっこいいじゃないですか。めちゃくちゃわかります。
でもそんな人に伝えたいのは「体温低いフリするのはやめようぜ!」ってことです。
もっと体温高く、必死になってもいいと思うんです。「これが欲しい!」「これがやりたい!」って子供のように素直に口に出して、必死に取りに行ってもいいと。
体温低いフリをやめて、自分の成し遂げたいことに向けて必死になってやった島根のレインボーパレード。(私が代表となって主催したイベントです。詳しくはこちらをご覧ください。https://www.instagram.com/rainbow_shimane/)
アツい思いを持って、全力でなりふり構わずやったからこそ、一つ一つに泣けました。思えば、クールを気取っていた学生時代だって、柔道には必死でした。絶対勝ちたい!と闘志を剥き出し…!!そんな時の思い出って一生自分の心に残るんですよね。やりきった…!って達成感とともに。
だから、
体温上げていこうぜ。
低いフリして、自分のやりたいことから目を逸らさずに生きていこうぜ!
って思います。
なんとも暑苦しいキャラになってしまいました。笑
インスタライブで時に松岡修造さんみたいになってしまうことがあるくらい、体温高めのやつになりました。笑
別に誰に笑われようが、誰に後ろ指を刺されようが関係ない。私たちの人生ですもん。私たちの好きなように生きていきましょう。体温高く!一生懸命!努力して!
何がいけないんでしょう。
努力かっこいいじゃん。努力サイコー!
さぁ、やっていきましょう!!